土のつぶろぐ

土の粒々から世界を考える!(ある土壌科学者チームの挑戦)

研究者と論文

このところ論文についての話題が身近なところで何度か出たので、今日はこれをテーマに小話を。

 

研究者は、基本的に論文で評価されます。賛否両論ありますが、より良い評価法は見当たらず、現実としてそうなっています。この次世代プロジェクトでも、これだけの税金を使って何がわかったのか、どんな客観的な成果があがったのかが問われる訳で、それは先ず第一に、論文で評価されます(技術系の研究など、特許での評価もあるとは思いますが、科学系では論文です)。

 

自分の行った研究を論文として発表するわけですが、普遍的な重要性を持つであろう発見やアイデアは、当然海外の科学者にも読んで貰うべきなので、国際誌(つまり英語で書かれている学術雑誌)中でもより多くの科学者が読むであろう高名な国際誌に発表しようとします。しかし、書いた論文をその雑誌に投稿したからといって発表にまでたどり着けるとは限らず、高名な国際誌ほど採択率は下がります。

 

採択か否かがどうやって決まるかというと、通常2,3人の同じ分野の専門家が審査します。この人達はレビューアー(査読者)と呼ばれ、その論文を読み、その内容(方法や結果の解釈の正しさ、重要性、新しさ等)を吟味し、コメントを投稿者に返します。投稿者には、査読者が誰か知らされない決まりなので、レビューアーは厳しいコメントも遠慮なく書けます。このレビューアーからの批判に耐えうる論文だけが世に出るという仕組みです。

 

レビューアーとの戦いは、なかなか熾烈を極めることもあります。粒蔵の博士研究の一報目は、地球化学の分野のトップジャーナル(GCA)に投稿したのですが、1年前後のバトルが続きました(レビューアー、担当エディター総入れ替えなどあり)。怒ったり、自信を失いかけたり、悶々としましたが、それを経て精神的にタフになれたし、論文の質も上がりました。

 

この最初の論文原稿の執筆は、本当に長かった。指導教官との間だけで十回以上書き直しを行い、レビューアーのコメントを受けて更に何回か書き直しました(全文ではないですが、一部を入れ替えたり、論理展開を変えたり、再実験の結果を加えて考察しなおしたり)。打ち出したダブルスペースの原稿が、先生のコメントで真っ赤になり、修正原稿を出し、また真っ赤に染まり、、の繰り返しがひたすら続きました。この経験から、文章はちょっとずつしか改良できないこと(少なくとも僕の場合は)、書き直すほど磨かれ、切れ味の鋭い論文になることを身をもって知ることが出来たのは、本当によい経験でした。

 

また、レビューアーの意見は必ずしも従わなくてもよく、こちらが正しいと思えば堂々と異論を唱え、データや理屈を基にクールに(熱くならずに)戦えば良いということも、貴重な勉強になりました。先生は、研究者として生き残るためのスキルを教え込もうとしてくれたんだと思います。

 

このように、世に出た論文一つ一つ、そして出なかった論文も含め、それらの後ろには、さまざまな熱いドラマがあるのだと思います。

 

論文が受理され、発表に漕ぎ着くということは、その分野の専門家に認められたことを意味するので、それは嬉しいこと・誇らしいことです。たぶん多くの研究者は、自分が最初に書いた論文が受理された時の感動を今も覚えているでしょう。

 

このチームの若手(粒子と合宿中のもう一人)の書いている論文原稿も、投稿できる段階に近づいてきました(内容は後日、本人達から)。なかなかの力作だと思うのだけれど、どんなエンディングでこのドラマは終わるのか?そして、次にどんなドラマが待っているのか?